ほど遠い40分切り

ランニング

 新型コロナウィルスの影響で現在「佐久間駅伝」は中断されていますが、僕は20年以上も佐久間駅伝に参加しています。
 初めて佐久間駅伝に参加するために「ジュビロ磐田メモリアルマラソン」を走ったことは、「まさかの1キロ5分切り」でご紹介しました。実は佐久間駅伝に専念するために、それ以降は一度もロードレース大会には出場していないのです。
 しかし、駅伝である程度走ることに自信をつけたので、今度はロードレース大会に本格的に出場してみようと考えました。
 「ジュビロ磐田メモリアルマラソン」から1週間後、42歳のとき、「第15回名古屋シティマラソン」10キロの部に出場しました。タイムは47分44秒。またも45分切りはならず。そして、翌年、2000年(平成12)に出場した「第15回焼津みなとマラソン」で、45分切りにあと一歩と迫りました。タイムは45分04秒です。
 そして、とうとうその日がやってきました。その年の12月に開催された「第12回袋井クラウンメロンマラソン大会」で44分42秒のタイムで55位(202人中)になりました。さらに、その翌年2月、「第30回記念森町ロードレース大会」で42分03秒、同じく2月の「天竜市杉の里ロードレース大会」では41分46秒と大躍進を遂げ、今度は40分切りもまじかに迫っていました。
 ところが、その年(2001年)の「第16回焼津みなとマラソン」も「第4回ジュビロ磐田メモリアルマラソン」も45分を切るのが精一杯でした。しかし、12月の「第13回袋井クラウンメロンマラソン、翌年2月の「第31回森町ロードレース大会」、「第18回天竜市杉の里ロードレース大会」、さらにその翌年(2002年)の「小笠・掛川マラソン」では、再び43分台のタイムに戻すことができました。
 そして、とうとう40分切りが目の前に迫った2つの大会を迎えることになったのです。2003年(平成15)の「第32回森町ロードレース大会」では40分33秒、さらに「第20回天竜市杉の里ロードレース大会」で40分01秒。僕が46歳のときです。
 しかし、このときが年齢の上でもピークだったのでしょう。その後の大会では一度も40分を切ることはできませんでした。これまでの10キロのベストタイムは、「第20回天竜市杉の里ロードレース大会」で出した40分01秒でした。その後は「森町ロードレース大会」、「浜松シティマラソン」の41分台前半と、「天竜市杉の里ロードレース大会」の40分台前半が精一杯で、年齢も50歳を迎えることになったのです――次回に続く。

 

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