不安と自信の狭間で!――

ランニング

 春先から走りはじめてトレーニングを重ね、早や6か月、季節は秋になっていました。そんなとき、駅伝チームのメンバーの1人から、「ロードレースに出てみないか?」とメンバー全員に誘いがありました。彼はロードレースが行われる磐田市で勤務していたので、この街で大会が開催される情報を得ていました。この大会に出場することで、メンバー一人ひとりの走力が今、どのくらいのレベルにあるのかを知る絶好の機会だと、彼は考えていたのです。
 僕以外の5人は駅伝大会に出場しているのでロードレースの経験はありますが、単独で走るとなると勝手が違います。僕自身も駅伝すら走っていないのですから、正真正銘大会に出場するのは初めての経験になります。今まで6か月間トレーニングを重ねてきて、自分がどのくらいのタイムで走れるのか試してみたい、という強い気持ちがありました。
 初めてのチャレンジレースは、1999年(平成11)に静岡県磐田市で開催される「第2回ジュビロ磐田メモリアルマラソン」10キロの部でした。これまでトレーニングを積んできたとはいえ、10キロもの長い距離を走るのは不安でした。ほかの5人のメンバーも、駅伝で4~5キロくらいしか走っていないので、僕と同じように緊張しているのがわかりました。大会はあと2か月余りに迫っていました。
 目標ができた僕たちは、2か月余りを必死にトレーニングを積み重ねました。監督の指示で、例の山と山の間を縫うように走っている道路を使って、合同トレーニングが毎週日曜日に行われました。往路は上りを走るコースですから、かなり脚の筋力がつき、誰もが走力は目を見張るほどレベルアップしていました。
 11月。いよいよ大会当日を迎えました。レースは磐田スポーツ交流の里「ゆめりあ」発着で市内を回わるコースです。比較的アップダウンの少ないコースですが、「ゆめりあ」に向かう最後の1キロあまりは急激な上り坂になります。事前に試走さえせずコースの把握さえせずに、僕たち6人は号砲とともに「ゆめりあ」をスタートしたのです。
――次回に続く

 

 

 

 

 

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