2018年1月31日(土)、学習発表会を無事終え、午後2時半ごろ校長室で仕事をしていた時、原田橋が通行止めになったという同報無線(町民放送)が入りました。退庁時刻までには解除になるだろうとたかをくくっていましたが、4時半(勤務終了時刻)になっても解除の放送は入りませんでした。
私は、仕方なく横山回りで帰宅することにしました。国道152号線を南下し、横山町の信号を右折し、熊経由で自宅に戻りました。学校から自宅まで通常なら通勤時間25分の距離ですが、1時間半の長い道のりになりました。
自宅に戻り、テレビのチャンネルをひねると、信じられない、衝撃的な映像が目に飛び込んできました。原田橋を吊っていたケーブルの付け根が岩盤ごと崩れ落ち、大量の土砂とともに橋が落下していたのです。そのそばに1台の車が無残な姿で横たわっているのが見えました。その時、浜松市役所職員2人が犠牲になったことを初めて知りました。
原田橋は、浦川地区と佐久間地区をつなぐ天竜川に架かる重要な橋として、1956年、佐久間ダムの完成と時を同じくして建設されました。私が誕生した年です。浜松市が政令市になった2007年に静岡県から浜松市に管理が委譲されました。建設から半世紀が経過した2012年にケーブルの一部破断が見付かり、一時全面通行止めになったため、2013年に新橋建設に着工し、2015年完成に向けて工事をしていた矢先の大事故でした。浜松市は、「今回の崩土が想定を超えていて、落橋は予想できなかった。」と説明していますが、今後、新橋の建設見直しに大きな影響を与えることは必至です。
昔から原田橋周辺は、急峻な地形で小さな崩土や落石が頻繁にありました。新橋建設に当たって、落下した橋の隣に建設することについては、地元住民から反対があったにもかかわらず、予算の関係で強行した浜松市の責任は重いと思います。崩れた斜面の横には落下防止のネットが張られていますが、浜松市によると、2015年度中にさらに周辺にも落石防止の対策を講じる計画だったと言います。今回は、皮肉にもその隣の斜面が崩れ去りました。遅きに失した感があります。
今、当面の対策として、天竜川に架かる仮設道路の建設が急ピッチで進められています。ケーブルが一部破損し、原田橋が全面通行止めになった2012年と同じ場所に造られ、2月17日(火)には完成予定とのことですが、天竜川が増水し、仮設道路が決壊したらどうなるのでしょう。また、道路が通行止めになり、再び仮設道路が造られるまで通行禁止になるのでしょうか。そしてまた、浦川地区と佐久間地区が分断され、私を含めた多くの住民が、電車通勤になるのです。
仮設道路開通
原田橋崩落に伴う仮設道路が、2月12日(木)の午後4時に開通しました。私は、翌日、午前9時開始の部会校長会に出席するため、三遠南信自動車道路を通り、引佐・浜北経由で会場校のH中学校へ行きました。1時間15分ほどの道のりでした。
私が仮設道路を初めて通ったのは、その日の帰り道でした。学校を出ると、原田橋手前で工事関係者の指示により車を止められました。待つこと5~6分、対向車の通過を待って、不安な気持ちで車を発進させました。国道463号をUターンする形で仮設道路に入りました。天竜川に沿って500mほどは、しっかり砂利が固められていて順調に進みましたが、川合地区が近づくにつれ、しだいに悪路へと変わり、車の揺れも激しくなっていきました。そして、いよいよ川を横切る橋の上に来ました。土管がいくつか並べられ、その上を道路が走るような構造になっているので、緩い傾斜を上って下るような感覚でした。先を進むと道はますます悪くなり、小石をはねるのが分かりました。車のボディーが傷つくのが心配で、スピードは、20km程度しか出せませんでした。1.1kmの道のりを4分ほどもかかって、やっとの思いで通過することができました。
贅沢は言えませんが、今後、梅雨時になり道路がぬかるんだり、ダムの放流や川の水かさが増した時、どうなるのだろうという不安はぬぐいきれません。新橋建設は、白紙に戻ったと聞きます。二度と今回のような災害が起こらないように、地質調査をしっかりやって、安全な場所に新橋が建設されることを切に望みます。
私は、原田橋が崩落した翌週の2月3日(火)から電車通勤になりました。初日の2日(月)は、飯田線が首都圏の通勤ラッシュ並みの混みようだったと聴いていたので、どんな状況なのか興味津々でした。総務課を通して、車両を増やすか、車掌を増やすか、どちらかをお願いしてあったので、3日(火)は車内の車掌が2人、中部天竜駅の駅員が2人に増えていました。そのため、初日ほどの混乱はなかったようです。
私が乗った東栄駅では、そこそこ乗客はいたのですが、出馬、上市場、浦川と進むにつれ、どんどん乗客の数が増えていき、しだいに車内の通路が人で溢れるほどになりました。早瀬、下川合を通過し、中部天竜駅に着いてホームに降り立った時、ホームは隙間がないほどの乗客で埋め尽くされていました。数年前に原田橋のケーブルが切断した時も、こんな状況だったのだろうと思います。1週間ほどの電車通勤を通して、改めて、浦川地区と佐久間地区を結ぶ原田橋の重要性を再認識しました。
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