口にくわえた1本の絵筆と1編の詩が心を揺さぶる

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 星野富弘さんは中学校の教員をしていたとき、クラブ活動の指導中に頸髄(けいずい・首の部分に存在し、手指や腕をつかさどる神経)を損傷して手足が動かなくなりました。一度は絶望の淵に突き落とされましたが、入院中に母親の献身的な介護で希望を見い出し、口に筆をくわえて文字と絵をかきはじめました。星野さんが描く美しい花の絵や心に響く詩は、私たちに夢と希望を与えてくれます。星野さんの生い立ちやいきざま、情熱や作品にかける想いや情熱を「富弘美術館」から探ってみましょう。

星野富弘氏の人物像

 星野富弘さんは、1946年に、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に生まれました。幼少期は美しい山や川など豊かな自然の中で思い切り遊びました。友達とチャンバラごっこをするのが好きでした。小中高と陸上、登山、器械体操に明け暮れ、群馬大学教育学部体育科卒業後に中学校の体育教師になりました。そんな矢先、中学のクラブ活動で空中回転をしたとき、誤って頭部から落下して頸髄を損傷し、手足が動かなくなりました。

富弘美術館

 富弘美術館は、群馬県みどり市の「道の駅 富弘美術館」内にあるみどり市立美術館です。開館当初は「ふるさと創生資金」を活用し、使われなくなった老人福祉施設を改装してつくられました。館内は特色ある構造になっていて、正方形の建物内部が33の円筒状の空間に分かれています。各部屋には富弘さんの作品や生い立ちを説明したパネルが展示され、図書コーナーやビデオルーム、カフェなどもあります。

星野さんの初期の作品

 星野さんは群馬大学病院に入院中に最初の作品展を開催しました。そのときに出品された作品60点は希望者に譲られたので行方知れずになっていましたが、水彩画2点だけが見つかりました。それは「ラン」と「バラ」を描いた水彩画です。これらは、ある女性の他界した父親が保管していたものです。

星野さんの功績

 1982年、高崎市で「花の詩画展」が開催され、その後全国各地に広がりました。1991年、ブラジルで「花の詩画展」が開催され、現在も継続中です。1994年、ニューヨーク、1997年と200年にホノルル、2001年、サンフランシスコとロサンゼルス、2004年にはワルシャワ国立博物館での「バリアフリーアート展」に招待され作品を出品しています。現在も詩画やエッセイの創作活動を継続中です。

美術館を取り囲む雄大な自然景観

 富弘美術館の周りには素晴らしい景色が広がっています。美術館を取り囲む大自然は、星野さんが生まれ育った故郷を彷彿させてくれます。それらの自然の中に溶け込むように、満々と豊かな水を蓄えているのが「草木ダム湖」です。

おわりに

 「富弘美術館」を訪れてみて、星野富弘さんの強靭な生命力と溢れんばかりの優しさに感動しました。苦難に押しつぶされず、雑草の如く這い上がり、あのような数々の素晴らしい作品を作り上げた生命力は大いに学ぶところがあります。また、星野さんの優しさは、彼の描いた美しい花々から想像できますし、水彩画に添えられた心温まる詩には、生きることの素晴らしさが溢れています。

 
 

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