もうすぐ子どもたちが楽しみにしている夏休みです。
これからご家族で夏休みの計画を立てられると思いますが、私がお勧めするのは「浦川キャンプ村」です。
遊園地に行ったり、プールに行ったり、海水浴に行ったりするのもいいですが、山や川のある自然を満喫するなら断然、ここ「浦川キャンプ村」です。
ここでの貴重な体験が必ず、子どもたちの良い思い出づくりになること間違いなしです。
では、今から「浦川キャンプ村」のお勧めポイント10点と、「浦川」という小さな町についてほんのちょっぴりご紹介します。
所在地
「浦川キャンプ村」は、静岡県浜松市天竜区佐久間町浦川にあります。
内陸性盆地のため、夏は非常に暑く、冬は非常に寒いです。
浦川地区には天竜川の支流、「大千瀬川(おおちせがわ)」が流れていて、キャンプ村はこの川沿いにあります。
浦川地区は532世帯、人口約1,000人ほどです。
アクセス
車なら浜松市中心部から、国道257号線を経由して「三遠南信自動車」で「浦川」で下りれば5分ほどで到着します。
浜松中心部から所要時間約1時間30分です。
浜松市中心部から国道152号線を使っても行けますが、途中から悪路になり所要時間も2時間近くかかってしまいます。
電車なら豊橋駅からJR飯田線に乗って「浦川駅」で下車します。
豊橋駅から所要時間は約2時間です。
浦川キャンプ村
「浦川キャンプ村」は浦川地区の中心部から南東方向にあり、大千瀬川(天竜川の支流)と相川が合流する地点(中州)に位置しています。
「浦川駅」から徒歩5分です。
車の場合はキャンプ村までの乗り入れが禁止されているので、つり橋手前の「浦川キャンプ村第二駐車場」をご利用できます。
浦川駅前の道路をまっすぐ歩いていくと「市立浦川小学校」が見えます。
そこを左に曲がり、つり橋を渡ると「浦川キャンプ村」です。
開村期間
開村期間は3月1日から9月30日までです。
ただし、予約すれば10月30日まで利用が可能です。
施設
① 宿泊施設
バンガローA型(2人)1棟、バンガローB型(3人)5棟、バンガローC型(8人)1棟と(15人)1棟、和室D棟(10人)3室、バンガローE型(10人)1棟と(6人)2棟、バンガローF型(6人)2棟
ログハウスR大(8人)3棟、ログハウスM中(5人)2棟
そのほか、テントを張れるサイトがあります。
② 利用料金
バンガローA型3,000円、バンガローーB型5,000円、バンガローC型15,000円、和室D棟15,000円、バンガローE型(10人)15,000円(6人)7,000円、バンガローF型18,000円
ログハウスR大15,000円、ログハウスM中10,000円
持ち込みテント3,000円~、貸出テント3,500円、タープ付き持ち込みテント2,000円
「浦川キャンプ村」おすすめポイント10点
ポイント1 川底が見えるほど透き通った、透明度の高い「大千瀬川」と「相川」で水遊びと魚釣りができます。
ポイント2 キャンプ場内には常設テントサイト、フリーテントサイト、バンガロー、ログハウス、和室、水洗トイレ、炊事場、大浴場、温水シャワーがあり施設が大変充実しています。
ポイント3 川の真ん中(浮島)にあるため、外界から遮断されたような自然の豊富な空間で冒険心をそそられます。
ポイント4 つり橋の手前に駐車場があり、そこからリヤカーで荷物を運びます(リヤカー料金は1日200円)。
ポイント5 テントサイトは木々が多く木陰ができるので夏でもとても涼しい。
ポイント6 施設は古いですが、清掃が行き届いていて気持ちよく利用できます。
ポイント7 8月第一土曜日に利用すれば、浦川花火大会を楽しめます。
ポイント8 食材(食彩広場・浦川店で購入可能)以外はすべてレンタルができます。
ポイント9 民家の明かりや街灯が少ないので、夜は満天の星を眺めることができます。
ポイント10 子どもの遊び場としても、大人の癒しの場としても楽しめます。
「浦川」のイベント
浦川は「キャンプ村」だけではありません。
4月には「浦川桜まつり」があります。
キャンプ村を会場に桜の下で生バンド演奏などが行われます。
8月第一土・日曜日には「浦川まつり」があります。屋台の引き回し、カラオケ大会、花火大会などが行われます。
10月には隣の川合地区で「川合花の舞」が行われます。
「浦川」の歴史
「浦川駅」のプラットホームに駅名が表示されていますが、ローマ字でURAKAWAと書いてあります。
でも、浦川の住民は「うらかわ」ではなく、「うらがぁ」と呼んでいます。
元来この地は「裏鹿の里(うらがのさと)」と呼ばれ、「裏鹿城」があったようですが、古文書には城としての歴史は残されていません。
この城の付近に江戸時代の名主日名地氏の住まいがあったようですが、城主が日名地氏であったかどうかははっきりとしていません。
日名地氏は武田氏の家臣で大須賀城主であったといわれていますが、この城との関連は定かではありません。
いつ裏鹿城が建てられたのかもわかっていませんが、戦国時代には日名地氏がこの城と何らかのかかわりがあったのではないかということです。
永禄11年(1568)ここから南西に6㎞のところに、「鶴ヶ城」がありました。
この城は三河勢(徳川軍)によって攻め落とされていますが、この城の城主が浦川方面の味方に援軍を依頼したと伝えられています。
この援軍こそが、日名地氏を指しているのではないかと言われています。
「裏鹿城」は浦川駅の南西の小高い丘の上にあったようです。
今では「圓光寺」というお寺の墓地になっています。
おわりに
「浦川キャンプ村」はわが故郷の自慢の一つです。
45年以上の歴史があり施設はだいぶ老朽化していますが、そんなことを忘れて自然の中で思い切り楽しむことができるのが、このキャンプ村のよさです。
しばし、大人のみなさんも童心に返って、子どもと一緒に楽しんでみませんか?
コメント