山 ―コンバットごっこ―

故郷

我が家は静岡県と愛知県の県境の山間地にあります。盆地地形になっているため夏は厳しい暑さ、冬は瀬戸川から吹く通称「瀬戸嵐」によって厳しい寒さになり、雪が積もることもあります。
私の幼い頃の遊びと言えば、山の中に基地を作って遊ぶのが定番でした。私の2人の弟のほかに、近所には3人の幼なじみがいました。夏休みや冬休み、休日にはいつも6人で遊んでいました。その頃流行っていたのは戦争ごっこ――私たちは「コンバットごっこ」と呼んでいました――でした。
6人が3人ずつに分かれて戦いをします。山は広いので隠れる場所はいくらでもあります。近くには「鶴ヶ城」という山城の城跡がありました。鶴ヶ城にはこんな歴史があると祖父から聞いたことがあります(事実かどうかは定かではありません)。
鶴ヶ城は徳川家康が三河を統一した時代にありました。この辺り一帯は、奥山氏の支配地域で、奥山氏は今川氏真に仕えていました。鶴ヶ城は奥山氏の居城で、信濃と東三河を結ぶ別所街道をおさえる役割を担っていたらしい。しかし、別所城主の伊藤氏に攻め込まれ激しい攻防戦を繰り広げた末に、この城は落城してしまった。

鶴ヶ城に至る林道は400メートルくらいあって一本道になっていました。その至る所に細い側道がありました。この林道は道幅が狭くて周りには杉の木やブナの木、そのほか様々な広葉樹や針葉樹が生い茂っていて薄暗く、なんとも不気味な感じがしました。鶴ヶ城近辺には土橋があったり、堀があったり、曲輪があったりして格好の遊び場でした。
当時「隠密剣士」というTV番組が流行っていまし
たので忍者ごっこをやるのが常道でしたが、私たちは西洋かぶれでアメリカTV番組「コンバット」の戦闘シーンを再現して遊んでいたのです。

この遊びは鶴ヶ城を攻略したチームの勝ちというゲームでした。鶴ヶ城に辿り着くまでに敵を倒していきます。みんないろんな場所に隠れていて、敵を見つけたらバン、バン、バンという声を出します。いわゆる機関銃の音をまねるのです。先にこの声を出した方が勝ちということになり、負けた方は捕虜になってゲームには参加できません。どちらかのチームの誰かが鶴ヶ城に辿り着けば、そのチームの勝利です。
このゲーム、広大な山があるからできたのです。山は私たちに
とって遊びには欠かせない、素晴らしいホームグラウンドだったのです。

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