貴重な酪農体験(稚内市)

アクティビティ

 大学2年のとき、北海道稚内市沼川に行きました。「酪農」のバイトをするためです。実はこの酪農で稼いだお金で、自転車による北海道一周をするのが目的でした。
 大学のある仙台を夜行列車で出発しました。折りたたんだ自転車をキャリーバッグに入れて、電車に乗っていたら競輪選手と間違えられました。
 長時間電車に揺られて稚内市沼川に着いたのは早朝でした。私がお世話になったのは「大和牧場」という名前で、2軒が共同経営している酪農家のお宅でした。牛の数は200頭余り、仔牛を入れれば250頭もの牛がいました。私はこのお宅(写真)の2階の左側の部屋で生活しました。

フン出しと搾乳

 酪農の仕事は早朝5時からの牛舎のフン出しと搾乳(乳絞り)からはじまりました。この仕事を終えて食卓についたのは7時。朝飯前に2時間も働きました。お腹がペコペコのはずなのにフンのにおいが体に沁みついていて、食欲がまったく湧いてきませんでした。

コンポウ

 朝食が終わると牧場に出てコンポウ(梱包)、つまり牧草を直方体の形にしたものをトラックに積み込んで、倉庫まで運ぶ仕事をしました。ハーベスターという機械で直方体にした牧草(梱包)を巨大なフォークでトラックの荷台に投げ上げる役と、トラックの上でコンポウを並べる役に分かれての作業でした。私のほかにもう一人バイト学生がいました。ラッキーなことに、彼は逞しい体格の持ち主でしたので投げ上げる役を、華奢な体の私は並べる役に回りました。写真はハーベスターで牧草を刈り取っている場面です。

倉庫積み下ろし

 トラックで運んだコンポウは倉庫に10段くらいの高さに並べます。私はやっぱり並べていく役でした。ある日、体格の良い彼が投げ上げたコンポウをつかみ損ねて、私は積み上げられたコンポウの5段くらいの所から落下して、床に叩き付けられてしまいました。目の前に運悪く巨大なフォークがあったので、危うく顔を串刺しにされるところでしたが、肩を打撲しました。幸い、仕事に差し支えるほど重症でははなかったですけどね。

放牧

 コンポウがひと段落すると、牧場に出て牛を放牧するお手伝いをしました。200頭もの牛たちがいっせいに牧場に放たれ、自由気ままに牧草を食べているのです。放牧が終わって牛舎に戻す時は、牧場の広範囲にわたって牛たちが点在しているのでひと苦労です。一か所に追い立てるのにバイクを使いました。

サイロの牧草踏み

 実はコンポウをやる前は、サイロに入って噴き上げ口から送り込まれる牧草をひたすら踏み固めていくという、単調で眠くなるような仕事もしたのです。このサイロの中の牧草は、牛たちの貴重な食料や寝床になるのです。雪深いこの地域では、夏の間にサイロの中にたくさん牛たちの食料などを蓄えておくのです。

仔牛の世話

 大きな仕事はサイロの牧草踏みとコンポウですが、それが終われば、牛舎の掃除や搾乳が主な仕事になります。それまでは、ひたすら過酷な仕事に耐えなければなりません。
 酪農のバイトの後半は仔牛の牛舎の清掃を任されました。親牛と同じようにフン出しや寝藁敷きなどの仕事をします。私が一番気に入っていた仔牛は、「グレートピースチャーミングモデル」と言いました。名前のとおり可愛い牛でした。人間なら間違いなくキュートな顔立ちの女の子でしょう。私になついてくれて、それがまた可愛くて思わず抱きしめてしまいました。

赤ちゃん誕生

 酪農体験期間中に珍しいものを見ました。それは仔牛が生まれる瞬間です。親牛が苦しそうに呻きながら必死に赤ちゃんを産もうとします。まもなく牛の後ろ脚の一部が外に出てきます。そして破水がはじまり、ご主人が親牛の脚を蹴り上げた瞬間、可愛らしい仔牛が誕生しました。湯気が立ち上っています。仔牛は必死で立ち上がろうとしますが、すぐには立ち上がることができません。その様子がけなげで可愛くて感動で涙が出そうになりました。

血統プレート

 牛舎にいる牛の寝床には1頭1頭、「血統プレート」が取り付けられています。「名号」、生年月日」、「登録番号」、「体格得点」、「父親と母親の名前」などが表示されたものです。

おわりに

 私は1か月間酪農を体験してみて、厳しい自然環境の中で一生懸命働いている酪農家の人たちのご苦労を少しだけわかったような気がします。「酪農の仕事は大変だけど、可愛い牛たちがいるからこの仕事を続けていけるんだよ」というご主人の言葉が、今でも私の胸の奥底にしっかりと収まっています。
 この酪農体験は、私に働くことの厳しさと素晴らしさを実感させるとともに、今後の人生に勇気と希望を与えてくれたような気がしています。

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