1783年浅間山大噴火・最後に流出したのは「鬼押溶岩流」だった!

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 1783年(天明3年)7月に、浅間山が大噴火を起こしました。このときの犠牲者は1,100名を超えていたと言われています。それらの犠牲者への慰霊と平穏を祈願するために創建されたのが、「浅間山 観音堂」です。まるで浅間山が見下ろしているように、無数の溶岩塊の中に厳かな姿で建っています。

浅間山

 浅間山は長野県と群馬県の境にある安山岩質の標高2,568mの「成層火山」です。山の形は円錐形でカルデラも形成されている活火山です。
*安山岩・・・暗灰色できめが細かく、その中に細かい石粒が入っている。マグマが急に冷えて固まってできた、黒いガラスのようなもの
*成層火山・・・溶岩と火山灰が積み重なって、一つの火口を中心としてできた円錐型の大型の火山
*カルデラ・・・火山の中にある、円形またはそれに近い、広くて大きなくぼ地
*活火山・・・過去1万年以内に噴火したことのある火山

世界三大奇勝「鬼押出し園」

 浅間山が大噴火を起こしたとき、たくさん溶岩が噴出しました。数えきれないくらいの溶岩でした。火炎が数百メートルも吹き上がり、大量の火砕流が山腹を猛スピードで下っていきました。わずか十数分の出来事で村を飲み込んでしまいました。この噴火のとき、最後に流出したのが「鬼押溶岩流」でした。この場所は長さ約5㎞、広さ約6.8㎢にわたって奇岩が広がっています。

溶岩の芸術

 大きな門をくぐると、目の前にどっしりと構えている浅間山が姿を現わしました。押出し園の中を数えきれないほどの溶岩の山と高山植物を観賞しながら散策路を上っていきました。そこには、小さな溶岩もあれば、まるで何かを模したような溶岩のかたまりもありました。まさにそれは、浅間山の麓に広がる「溶岩の芸術」そのものでした。

浅間山 観音堂

 「浅間山 観音堂」は、東京上野にある「寛永寺」の別院に当たります。元々は浅間山大噴火の犠牲者たちの冥福を祈って建立されたものですが、現在は厄除け観音として参拝する人で賑わっています。

絶景

 観音堂でお参りをして社殿の周りを取り囲んでいる回廊をひと回りすると、どこにいても絶景を眺めることができます。浅間山をはじめ、白根山など長野県や群馬県に連なる山々がはるか遠くにそびえ立っています。

おわりに

 鬼押出し園の散策路を歩いていくと、真っ先に目に飛び込んでくるのは無数の溶岩です。今でこそ、観光スポットとして多くの観光客が訪れていますが、天明の大噴火のときは、さぞ凄まじかっただろうな、と想像することができます。冷え固まった溶岩の山を見ていると、58人の死亡者と5人の行方不明者を出した、2014年の御嶽山の噴火を思い出さずにはいられません。

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