1998年(平成10)1月25日(日)、第25回佐久間駅伝が開催されました。佐久間町の城西幼稚園前スタート、浦川中学校ゴールの全長26.6キロ6区間のコースです。
1区4.5キロ・相月駅前中継点、2区3.4キロ・竜頭大橋中継点、3区4.6キロ・山香公民館前中継点、4区4.6キロ・佐久間歴史と民話の里会館中継点、5区5.1キロ・下川合橋前中継点、6区4.4キロです。
部門別チーム数は女子の部8チーム、中学男子の部8チーム、一般の部76チーム、佐久間地域在住在勤の部20チームで、合計112チームが参加しました。地元佐久間町はもちろん、飯田市、天竜市(現浜松市天竜区)、浜北市(現浜松市浜北区)、新城市、豊橋市、豊川市、川崎市、愛知県東栄町、岐阜県大垣市、愛知県設楽町、湖西市、岐阜県白川村、浜松市の遠方の川崎市と近隣の市町村のチームが勢揃いしました。
僕たちのチーム、「川上鶴ヶ会」はもちろん、町内在住在勤の部で3回目の出場でした――ただし、僕は過去2回にはまだチームのメンバーではありませんでしたが――。
ここで僕たちのチーム名に触れておきます。「川上鶴ヶ会」の「川上」は僕たちが住んでいる地域の名前です。「鶴ヶ会」は昔地域に存在した「鶴ヶ城」というお城(今は城址のみ)から付けました。
さて、大会1週間前に「決起集会」を開催するのが恒例になっていました。その席で毎年、走る区間を話し合って決めます。メンバーたちは走りたい区間の希望を言うのですが、僕は新人ですのでほかのメンバーの指示に従いました。
というわけで、初駅伝は3区を走ることになりました。4.6キロという距離で、アップダウンのほとんどないフラットなコースですが、川沿いを走るので風が強く、しかも最後の600メートルは急激な上りになります。4キロを順調に走ってきても、最後にスタミナが切れて失速するというランナー泣かせの過酷なコースです。4キロまでいかにスタミナを温存しておけるかが勝負の分かれ目になります。
大会では町内在住在勤の部で何位になるかが勝負です。他の部門の順位は関係ありません。僕たちのチームと他の19チームとの勝負です。
1区がスタートしました。区間6位で2区にタスキをつなぎ、2区のランナーが区間2位で順位を4位に引き上げました。いよいよ僕にタスキがつながりました。過酷なコースでしたが、区間6位の快走を見せ、順位を3位に押し上げました。その後、4区で1つ順位を落としましたが、5区と6区で区間3位となり、最終的には全体の3位でフィニッシュしました。
昨年は5位でしたので一気に3位になり、入賞のトロフィーを手に入れることができました。全体のタイムは1’’45’45秒で、僕は4.6キロを19’40秒で走り切りました。1キロ4’17秒で走ったことになります。この大会の後、チームのメンバーで祝勝会を開き、みんなで3位入賞の喜びを分かち合ったことは言うまでもありません――次回に続く
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