アクティビティ

わが家の茶摘み(機械による茶刈り)について、動画でご紹介します。

令和6年5月11日(土)、わが家では茶摘みが行われました。私の実家のある田舎は寒冷地のため、他地域より若干摘む時期が遅くなります。今年は茶工場の稼働停止前日ぎりぎりに、行うことになりました。わが家の茶園は家の裏山と川沿いの二か所です。朝露の乾くのを待って、午前8時に裏山から茶刈り機で刈りはじめました。私が機械を操作し、その後ろで妻が刈り取った茶を袋に受けていきます。そのうちに二人の弟夫婦がやってきて茶摘みに合流しました。機械は1台しかないので、弟たちは手摘みで茶を摘み取っていきます。午前中にすべて摘み終わり、昼食を挟んで午後から仕分け作業を行いました。機械で刈り取ると、どうしても古い茶や余分なものが混入します。そこで、手作業で不要物を取り出し新茶だけ袋に詰めていくのです。最後に、袋に詰めた新茶を車で茶工場に運搬して作業終了です。生茶の重量は80kg300gでした(前年比-2kg800g)。私の田舎では新茶の摘み手が高齢者ばかりになり、年々茶園を閉鎖する農家が増えてきました。しかし、わが家では茶工場が閉鎖するまでは茶摘みを続けるつもりです。
旅行

静岡県長泉町にある「井上靖文学館」武家門内の庭園に目を奪われた!

夫婦旅行で静岡県長泉町の「井上靖文学館」を訪れました。石段の両側に2本の「のぼり」が立っていました。左ののぼりには「瓊花まつり」、右ののぼりには「長泉町井上靖文学館」と書いてありました。石段を一歩一歩踏みしめながら上っていくと、目の前に武家門が現れました。その先には2本の樹木と、それらを挟むように「井上文学館」の石碑が見えました。門の中はどうなっているのだろう、と興味津々で武家門をくぐりました。そこには、開放感あふれる庭園が広がっていました。左に目をやると、「あすなろの木」と井上靖の銅像と句碑がありました。右に目をやると、真っ白な花弁を付けた、「瓊花の木」が植えられていました。素敵な庭園風景に、しばし目を奪われました。
宿とグルメ

洋上に浮かぶ無人島は、部屋も料理もすべて4つ星リゾート地だった!

ホテル専用駐車場に車を乗り付けると、ホテルマンが笑顔で出迎えてくれる。淡島船のりばから乗船すること3分。淡島ホテル桟橋に到着。廃業したあわしまマリンパークを左手に見ながら、ホテル玄関から入館。四つ星ホテルにふさわしい玄関ロビーの雰囲気に感激。部屋のバルコニーの椅子に腰かけ優雅にカメラ目線。背後に広大な駿河湾の眺望が広がる。全室スイートルームの広さ93㎡。フランス料理のフルコースディナーに舌鼓。食後のスイーツの後に、またスイーツが!料理長のサービスだった!朝食バイキングは和食を選択。ちょっと洋食っぽいのも入ってるけどね。
旅行

海鮮丼と浜焼きを満喫してから、日本一の水門「びゅうお」を見学した

夫婦旅行で沼津港に行きました。日曜日とあって観光客が半端ありませんでした。無料駐車場が満車だったので、飲食店街から徒歩5分の有料駐車場に車を駐めました。海鮮丼と浜焼きを満喫してから、沼津港大型展望水門「びゅうお」を見学しました。
小説

RUNNER―おっさんたちの駅伝―を起業家の目から分析すると……

利益追求型社会貢献起業家 一般社団法人次世代起業家準備室 準備室室長 折瀧浩二氏は、私が出版した駅伝小説、「RUNNER―おっさんたちの駅伝―」を経済社会のビジネスシーンに置き換えて分析しています。私を含め、経済社会でご活躍されている皆さんにとって大変参考になる内容ととらえましたので、ご本人の許可を得て原文のままご紹介いたします。
旅行

明治26年大正天皇のご静養先として造営された「沼津御用邸記念公園」➁

「沼津御用邸」はとても昭和の香りのする建物です。沼津御用邸記念公園の正門と邸宅の玄関及び建物の外観をご覧ください。「沼津御用邸」の第2弾は皇室の調度品などの紹介です。
旅行

明治26年大正天皇のご静養先として造営された「沼津御用邸記念公園」①

「沼津御用邸」は本邸造営後も増築を重ね、完成時には建築面積約5,750㎡で100室を越える大規模な邸宅となりました。ところが、太平洋戦争により本邸が全焼してしまいました。そのため、戦後まもなく御用邸が廃止されました。昭和45年から都市公園として生まれ変わりました。平成28年には、以下の二つの理由から「旧沼津御用邸苑池」として国の名勝指定を受けました。一 園内を囲むクロマツ林やその林間から望む富士山などの優れた景観一 近郊海浜保養地としての歴史的・文化的価値
アクティビティ

山中に突然、ゴジラあらわる! ゴジラは何と、滑り台を滑っていた!

静岡県浜松市中央区「浜名湖花博2024」会場の「はままつフラワーパーク」に行きました。桜満開、チューリップも色とりどりの美しい花を咲かせていました。園内をひととおり散策した後、私たちは子ども広場に行きました。子ども広場の観覧車に乗った孫娘は、「わぁー、ゴジラがあらわれた!」と驚いていました。ゴジラはまるで、滑り台をまたぎ、今にも滑ろうとしているように見えました。まるで山中にゴジラが出現したかのような光景に、私たちは思わず息を飲みました。
故郷

「ダンプ母ちゃん」と呼ばれた母は4㌧ダンプを乗りこなしていた!

最初はこんな大きな車に乗るつもりはなかったんです。でも、現場ではどうしてもダンプを移動しなければならないときがあるでしょ。そんなときに限って男の人たちは忙しくて……そんなら、私が乗っちゃえって思ったんです。私、身長が145cmしかないんです。初めはつま先でペダルの操作をしてたんですよ。けど、今はダンプも乗用車と同じように、座席が前後にスライドできるようになってるんです。ボンネットの長い乗用車より、ダンプのほうがずっと楽ですよ。地元の広報誌「生き方の追求」に掲載されたときの母のコメントです。私の母は20年間建設会社に勤め、無事故・無違反の優良運転手表彰を受けました。母はいとも簡単に4トンダンプにまたがり、颯爽と建設現場に出かけていきました。建設会社のある浜松市天竜区佐久間町から、浜松市の中心部まで仕事に行くこともありました。母は建設会社和田班の紅一点でした。母は退職後は1日も欠かさずに畑仕事に精を出しました。そんな気丈な母も病気には勝てず、2019年5月3日、84年の生涯をまっとうしました。
アクティビティ

酪農体験―日本最北端の地・稚内市沼川にて―1977年(昭和52年)21歳の夏の思い出

1977年(昭和52年)7月5日(火)から8月3日(水)まで、北海道稚内市沼川で酪農のアルバイトを行いました。僕がお世話になったのは、「大和牧場」という名の2軒で共同経営をしている牧場でした。仕事の内容は、「サイロ内での牧草踏み」、「牧草の運搬」、「牛床に敷く寝わら切り」、「牛舎の掃除」、「搾乳」、「梱包作業」、「牛の放牧」、「仔牛の世話」など、多岐にわたりました。作業は午前5時から7時まで、朝食を挟んで正午まで、午後1時から5時まででした。